語学学校に数ヶ月通ったが会話力の伸びがいまいち感じられない・・
と思う頃にチューターをとり始める人が多い。実際、英語に触れる機会がESLだけに甘んじて会話の機会が少ないと「英語の伸びを感じない」とか「生ぬるい環境にいる」といった感覚を助長させる。そこでチューターをとろう・・という事になる。
実際チューターは、留学生なら利用しない手はない。何故ならチューターは、学校の先生や、ネイティブスピーカーの友達ともまったく異なる角度から自分の英語を補強出来るからだ。利用価値は非常に高い学習手段である。
学校という枠組みでは、自分はクラスメイトの中の一人として扱われる。つまり複数の生徒で教師の時間をシェアしている。聞きたい事があっても大勢の生徒の中では、思うように先生と触れる機会が持てず、なかなか疑問が晴れない・・という事もあるだろう。チューターなら、クラスメイトを気にしてシャイになりがちな人でも、授業ではイチイチ聞かないような細かい疑問・質問まで聞ける点がまさにチューターの醍醐味。
疑問をとことん晴らす事でしっかりした理解に基づいて話せるようになり、英会話に自信や楽しさを感じる事が出来る。
ネイティブスピーカーの友達が居たとしても、彼らに英語の指導を期待する事は出来ない。生きた英語を盗む相手としては絶好だが、初歩的な細かい質問や自分の英語をいちいち直して欲しい・・といった事は言いにくいものだ。だいたい普通の友達にそんな事頼むのは不自然・・という空気が一般的に多いだろう。友達でありながら頻繁に訂正・指導してくれる人もいるが、これはあくまで彼らの親切心。ここの辺りはやっぱりささいな事でもバシバシと聞けるチューターの利用価値が身に染みてわかる。
しかしながら、チューターをとる事そのものが目的と勘違いしてる人が多い。そういう人は
「ネイティブスピーカーとも定期的に話をしている」
といった、わずかな自分の努力を認めたいだけではないだろうか?
極端に言うと、レッスンの時間はチューターを自分の言いなりに出来るという貴重な時間。英語レッスンの範囲であれば、どんなささいな質問やリクエストであっても、気兼ねなく要求出来る。学校の先生や友達では、こうはいかない。こんな自由度の高いお手本(=ネイティブスピーカー)を前にして、多くの人は単に
ではなかろうか?
この自由度を生かすには、自分で事前にしっかり準備して挑む必要がある。日頃の生活からアンテナを高くして、目や耳に入った言葉やフレーズ、疑問、気になる表現・・・。留学生なら、不明確な理解で聞き流している事が生活の中で多々あるはず。そういった事を出来るだけ記憶するなりメモするなりして、チューターにぶつけてみよう。いっその事レッスン時間が質問攻めで終わる位の勢いでよいのだ。とにかく日頃から好奇心を高めておく事が大切。受動的になって「教えてもらう」姿勢よりも、自ら質問する時間を増やして能動的に挑んだ方が、そこで学んだ事が吸収されやすいのは明白だろう。このような努力を繰り返す事で英語力の裾野は広がってゆくのだ。
そしてもう一点私が特に強調したいのは「知っているが使った事が無い言い回し」や「学んだばかりのフレーズや単語」などは必ずチューター相手に試してみる事。会話の中でさりげなく使ってもいいし、知らないふりして意味を聞くのでもよい。別の項眠っている語彙に気づけでも書いたのだが、知っているだけで口から発した事の無い言葉は、まだ本当に自分のボキャブラリとなっていない。それを本当のボキャブラリ・知識とするためにチューター相手に使ってみるのだ。自分が使って、相手がその意味を理解した上で返事をしてくる。この流れを経験して初めてその語彙は「いつでも取り出せる」自分の引き出しの中に収まるのだ。
とにかくチューターのレッスンを受けている時は、受身にならないように注意しよう。払ったお金を生かすか否かは、チューターだけでは無く自分に大きくのしかかっている。
形などに満足する事なく、もっともっとハングリーにいこう。